追記の占星術雑談。ただのメモ。
火星が魚座に入ったってことでそのうち魚座の土星と合になるわけだけど、その次に火星と土星が合になるのは2026年でそのときは牡羊座なのよね(ちなみにそばに海王星もいる)。つまり今回の火星魚座期で魚座的な課題はクリアしないといけないんだろうなあと。その前の水瓶座に天体がわらわらいた頃、冥王星が水瓶座に入って本格化してきたこともあってか、やたらギスギスしていた気がするのよね。そのギスギスがあぶり出してきたことが明確に問題になってくる気がして。弱者ムーブはもう無理なんだろうなあとか。これは自分用のただのメモなので抽象的なことしか言わ(書か)ないけど、魚座ってある意味幕引きだから、次の章(牡羊座)に行く前に自分がどんなエンドを迎えるかが問われる期間なんだと思う。第一部、完! ってなったときの自分の姿。そこでさ、魚座ってどうしても弱者・犠牲者的なものがテーマになっていそうなんだけど、弱者ではない側に立つというのは弱者であることと同じだと思うんだよね。表裏一体。その前の水瓶座は自由と平等だけど、この自由はlibertyで、水瓶座のルーラー土星を考えると、「その言動を選ぶのは各人の自由で、結果を引き受ける責任は各人に平等に訪れる」的な感じなのかもしれない。つまりそうできなかった場合は魚座強調時期はきついんじゃないかな、と。強者も弱者もないよって、かばってもらえなくなる(山羊座が強調されていた頃は、山羊座と魚座は調和の関係で山羊座は社会だから、何だかんだで社会が守ってくれていたんじゃないの。そこにありがたみを持てなかったら水瓶座で見放されるよね)。不安煽り系・コンプレックス商法、信者ビジネスとか、これは願望だけど終わんねえかな。弱者相手に商売するやつも弱者と一緒に終わってくれ。魚座の強みは精神性なんだから、魚座ぢからが良い方に出て真っ当な人たちが報われるといいな。これも各人の心がけ・言動次第(ここが水瓶座で鍛えておくべきだったところ)なんだけどね。精神性を高く保つのも、流されて堕ちるのも、方向が違うだけで同じでしょ、両方魚座なのだ。んで魚座と牡牛座は調和の関係だから、牡牛座に天王星がいる間(今なら木星もいるし)にやることって、ネットから切断(冥王星水瓶座期に水瓶座的なものが破壊)されても此の身で生きていける能力、だと私は思っているんだけどなあ。身体と精神。
思いつくままに推敲無しに書きなぐったので、後で読んだら支離滅裂かもしれん。だから自分用抽象的メモだって。
最初に書いた日記。
曇り、たまに雨。昨日のうちに星空が撮れてよかったかもしれん。と思ったらちょっと晴れ間も。