結城明音の適当日記

同人漫画描き・結城明音の活動報告と日常と関心事

作業をまだやっている、他 2023.11.3(金)

溜まっている家事を少し片付けた。この後何か作業できるんだろうか。書けそうならまた来ます。

晴れ。今日は木星が衝!

作業少し進めてました。うーむ木星衝の前には月食話を書きたかったが…仕方ない、もう速報じゃないし、焦らず行きます。寝る


考えごとを出力しておく。

私は、「堕ちないでいられるか」を天に試されている、と感じることがあるんですよ。ここで堕ちたら「あっち側」の住人になる、って。

心配したり応援したりした相手に切られる、ということを何度も経験してきた。ネットを徘徊していると、特定の記事というわけでもなくいろんなところでそうやって切られた人(※)の話を見かけて、そういうことはそう珍しい話ではないのだな、と複雑な気分になっている。

(※ここで注意しておきたいことは、他人を心配・応援する場合に「自分の問題から目をそらす材料に他人を使っていないだろうか」ということだ。他人に注意を向けている間は自分に目を向けなくて済むから。この状態のときに、心配するタイプと応援という名の逃避をするタイプと攻撃するタイプがいる。自分が他人を心配・応援するときは、自分の精神がこの状態に陥っていないかを見極めてからにしている)

心配して手を差し伸べるのは自己満足です(この世のすべては自己満足なので)。私の行為は心配した時点で完結し、その後は相手に委ねるのです。ですから、その後は相手の問題になります、心配を向けてきた人をどうするのか、という。それで相手が私を切る判断をしたならそれでいいです。

私は、相手の至らないところや未熟なところ、いわゆるダメダメなところは、わりと切る材料にはならないつもりです。相手が私を蔑ろにする・軽んじる・侮蔑する・見下す・損得の視点で見る・対等な一個人ではなくその他大勢として見る、などの扱いをしてきたときがだめです。私が人を切るとき(滅多にないですけど)って、いわゆる「痛み分け」の感覚があるんですよね、「つらいけど、ここまでしないとわからないよね」という。ですが、私が切られるときって、相手から他責を感じることがあってね。「私(相手)悪くないもん、あんた(結城明音)が悪いんだもん」的な。他人を傷つけることには鈍感なんだなあ。

それでも私は堕ちないでいようと思います。因果応報を信じている身だしね。相手にも相手の因果応報があるでしょうから。

(長い人生で疎遠になった人のことは「元気にしているといいな」と思うだけです。嗜好や関心や環境が変わると自然と離れていきますよね。それでもつながっていられる方には感謝しかないですわ。)