結城明音の適当日記

同人漫画描き・結城明音の活動報告と日常と関心事

電波出力長文 2023.6.21.(水)

今日は夏至! 太陽黄経90度! 太陽巨蟹宮入り! ドンドンパフー
90度に達するのは23:58なんだそうで、6/21生まれで蟹座ーって思っていたら今年の6/21生まれの人はほとんどが双子座になるのねん。
雲多めの晴れ、夕方から曇り。


ちょっと脳内の整頓をしたくてだらだら出力したい。日付変わる前にいったんあげてまた書く。

1:
今やっていることが、結果が出ない(まだ結果が出る時ではない)時期で、先の見えなさにいろいろつらくなって揺らぐのだけども。まあ何とかなるさ、というか、自分でできることはやっているのだからもうあとはなるようにしかならんというか、結局行きつくところはそれになるんだよなあ。それに、それをやらない自分がいいのか、と問われたら絶対にNoなので、やっぱりもうやるしかないのである。
というようなことを夫に吐露したら、「何を迷ってんの最初に決めた通りそのまま行け、おかしくなってきたら止めるから、止めない限りは大丈夫だから」と言われた。こういうの、当人には見えなくても第三者にはわかることがあるよね。
今いろいろ変わる時期なんだろうな、と思う。ここ数年でいろいろなことが変わりすぎなんだけど、まだ変わるんかい、っていう。たぶん今の変化が、いちばん"変わる"んだろうから、変化してもなお残るものと、新しいものを楽しみに、今できることを地道にやっていきます。

2:
これはわりと小さいころからある感覚なのだけれども。俯瞰している。ここ数年で知ったものでこんな感じと代替を示すなら、国立天文台4次元デジタル宇宙プロジェクトの「Mitaka」で、離陸して銀河系が点よりも小さくなるくらいまで引いて星々が一つに見える感じ。(Mitakaはここでダウンロードできるフリーソフト

4d2u.nao.ac.jp
ひとつひとつは全体で、全体はひとつひとつで。個の集まりが全体であるから、それぞれが個であることを獲得した上で手放さなくては全体にはなれないし、全体であることを放棄しては個ではいられないのである。
で、私は、この肉体をもってして人間をやる、ために生まれてきたのだな、と。人間をやるとはどういうことなのか知る、最終的に溶けるんだって"わかって"いても。結局は、地に足をつけることにつきるんだな、って。意識と肉体があり、物事は結果に過ぎなくて、俯瞰と没入を行き来する。
これ何とか言語化していかないとだめなやつ、って思って、この感覚をどうにかしたいと出力整頓してみようと試みているのだけど。これ何なんだろうな。言葉遊びのつもりはなくて、そうとしか言いようがない、というのが正直なところなんだけど。まあたたき台として出力している段階なので、もっと良い表現がそのうち見つかるかもしれない。このままだと誤解されそうだしね。
それで、私はよく「楽しくいきましょう」って言ってたんだけど、「面白くいきましょう、喜ぶようにいきましょう」のほうが適切かもしれない。やっていきましょう。

3:
夫がよく「体幹を鍛える! 体幹を強く!」などと言っていて、体幹って何だよ、となっている。私はわりと片足立ちをどっちの足でも長い時間できるんだけど、夫はそれを体幹が強いんだよと言っているが、なんだかしっくりこない。体幹を検索すると、筋肉の話ばかり出てくるんだけど。片足立ちをしている自分を振り返ると、筋肉は従というか。立つために必要な目に見えない何かを捉えて、それを実行するために筋肉があるっていうかね。
その目に見えない何かをイメージしてみる。
私の中に一つの中心部のような点があって、その点を貫く形で四方八方全方向に軸が伸びている。立体放射線(漫画表現の集中線が真ん中から伸びてて立体になっている感じ)みたいな。それはすべての物質にあって、だから地球にもあって。地球の中心部から伸びる軸と私の中心部から伸びる軸がシュッとまっすぐつながる、その感覚を捉えることが、体幹なんだ、と。(捉えても筋肉がないと支えられないから筋肉を使う。)私の中ではこういうことになっている。
そういえばネット徘徊中に丹田なるものを知ったんだけど。もしかして私の中にある中心部のような点と似たようなものなんかな。位置も大体似てるんよね。おへそより少し下なの。あ、ちなみに、私は腹式呼吸できるよ。丹田の流れで蹲踞ってのも知って、やたら難しい姿勢っぽく書かれていたんだけど。夫は子供の頃剣道をやってたので蹲踞をやって見せてもらったが、自分も見よう見まねですぐできたんだよね。このへん重心が絡む話っぽいね。

地に足をつけるの地って地球なの? やっぱ肉体が大事なんじゃんね?

だらだら出力はこれでひととおりできたかな。何か今回いつにもまして電波な気がしてきた。